06年のFA騒動・メジャー移籍等でカープファンのみならず多くの野球ファンを魅了 した一人の野球選手、黒田博樹。
球界に多くいるスター選手のように学生時代から華々しい道を歩んできた訳ではなかったが、野球に対する真摯なまでの姿勢と、ひたむきな向上心、そしてある時は反骨精神を持ちながらあきらめずに続けることで“球界を代表する投手”と言われるようにまでに成長した。
このコーナーでは、彼がこれまで歩んできた野球人生を彼自身の言葉で語って貰った。
- ー きっかけ
- 小学校1年生のとき、友達に誘われて地元の少年野球のチームに入ったのがきっかけとなった。凄く厳しくて尻バットとかは普通にあって、今では考えられないような体罰もあった(笑)。
- ー 父の影響
- まったくなかった。父(元プロ野球南海ホークス選手・黒田一博氏)が現役で活躍している頃も知らないし、野球をやりたいと言った時も「最後までやり通せるならやってもいいが、中途半端な気持ちなら別にやらなくていい」という感じだった。兄も野球はやっておらず、ただ自分自身野球が好きでやりたいという気持ちだった。
- ー ボーイズリーグ
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5年生のときにボーイズリーグ「オール住之江」に入り、硬式野球でピッチャーをやり始めた。その頃から毎日練習に行き、帰ったらバットスウィングをしていた。週末は試合が凄く楽しみで、ほとんど野球中心の生活。
父親が監督をしていたことで注目されていることがわかっていたので、練習は人一倍しっかりとやらないといけないと思っていた。でも、試合で負けて帰ると説教されるので、それが嫌でしょうがなかった。学校では?割と優等生だった(笑)。 - ー 憧れの選手
- 高校野球で活躍していた清原さんと桑田さん。その頃はピッチャーだけでなくバッターとして活躍したいという思いも強くあったので2人に憧れていた。また、高校野球の強豪だったPL学園に対する憧れもあった。父親が南海の選手だったので、たまに大阪球場に行ったりはしていたが、その頃は高校野球のほうがずっと身近に感じていた。
- ー レベル
- 中学時代は、ずば抜けてはなかったし普通のレベルだったが、練習はよくしていた。今思えば一番純粋に野球を楽しんでいた時期だったと思う。その頃上宮高校が高校野球で注目されていて、その中で力を試したいと思い、上宮高校を目指した。
- 上宮・野球部 —
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上宮高校の野球部には、スカウトされてきている選手もたくさんいたが、高2の秋に選抜をかけた近畿大会では背番号17番でギリギリベンチ入りを果たした。4試合中決勝も含め3試合を投げ1点も取られなかったが、結局は天理に負けて準優勝だった。
エースは西浦(克拓・日ハム・2005年引退)か溝下のどちらか。その頃はピッチャーとしては3番手で、自分でもそのぐらいの実力しかないと思っていた。練習試合で打たれると朝から晩まで走り続けたりしていたが、4日間続けた時はさすがに死ぬかなと思った。 - 不完全燃焼 —
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高校の野球生活ではあまりいい経験はできず、苦しくてやめたいと思うことも何度もあったが、父親にもやる以上は中途半端で終わるなと言われていたし、野球部に入った以上、どんな形であっても――たとえレギュラーになれなくても3年間続けようという気持ちを持ち続けた。
選手としての成長も実感できなかった時期だが、それでも3年間続けられたということが精神的には凄く大きな収穫だった。3年時に監督が田中秀昌先生(現東大阪大柏原高校監督)に変わり、厳しいながらも温かい目で見守ってくれたことが救いだった。
















