黒田博樹 公式ホームページ『kuro18』

道

06年のFA騒動・メジャー移籍等でカープファンのみならず多くの野球ファンを魅了 した一人の野球選手、黒田博樹。

球界に多くいるスター選手のように学生時代から華々しい道を歩んできた訳ではなかったが、野球に対する真摯なまでの姿勢と、ひたむきな向上心、そしてある時は反骨精神を持ちながらあきらめずに続けることで“球界を代表する投手”と言われるようにまでに成長した。

このコーナーでは、彼がこれまで歩んできた野球人生を彼自身の言葉で語って貰った。

【2007年シーズンを振り返って】

—  手術の影響
前年のオフに渡米し肘の手術を受けたので、開幕前は1年間投げ通せるかどうか不安だった。シーズン中は5月に一度登板を回避したが、それ以外は違和感もなく投げられた。2007年オフに検査を受けたが、問題ないと診断された。
—  周囲の変化
カープに残留したことで反響が大きく、球団側が『男気弁当』を発売するなど周囲の動きはあったが、自分自身はやることは今までと変わらないと思っていた。ただ、登板日に多くの方が市民球場に応援に来てくれるようになり、そのことをずっと願ってきたので凄く嬉しかった。僕にとって一番大事だったのは、ファンの方がどれだけカープに目を向けてくれるかだったので、そういう意味では残留してよかったと感じていた。
—  開幕戦
肘の不安もあって調整がしっかり出来なくてオープン戦でも調子が上がって来ず、不安なまま3月30日の開幕戦(対阪神)を迎えた。実際にマウンドに上がり、ぶっつけ本番と言うか、その場凌ぎの投球だったが、どうにかしてゲームを作ろうと精一杯投げて勝つことが出来た。強豪の阪神に初戦で負けることでチームが波に乗れないこともあるし、何とか勝てたことで正直ほっとした気持ちだった。
—  ファン投票
オールスターファン投票で先発投手部門1位で選出してもらった。僕よりもっといい成績を残しているピッチャーもいるし、そういう意味では僕でいいのかという気持ちもあったが、ファンの方がいろんな思いを胸に投票してくれたことは嬉しかった。ファン投票で選出されるのは2度目だったが、初めての時よりその重みが分かるようになっていたので喜びも一層大きかった。
—  100勝達成
7月14日、対巨人でプロ通算100勝となったが、自分が目指すピッチングをしっかりしていけばいつかは通過する点だと思っていたので、あまりこだわりはなかった。ただ、10年間で100勝ということは平均すると毎年2ケタ勝利を続けないといけないことになるが、プロに入って数年は2ケタ勝利もなかなかできず、故障で1勝という年もあり、ここまでできるとは考えてもいなかったので、そういう意味ではひとつの区切りとなった。特に僕が入団してから広島カープはほとんどBクラスだったので、その中で達成できたことは誇りに思っている。
—  2ケタ勝利
2007年の成績は12勝8敗だった。欲を言えばもっと勝たないといけないという気持ちは強かったが、何とか2ケタ勝利したことで最低限の仕事は果たしたと思う。それよりも、優勝を目指して心新たに臨んだシーズンでチーム成績が5位に終わったことが残念だった。結果的に9月27日が広島カープでの最終登板になったが、お客さんが7千人しか入らなかった。前年の最終登板日は満員だったので、今思えばちょっと寂しい感がある。

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【父の死】

記憶  —
8月に闘病生活をしていた父が他界。父は僕が所属していた少年野球チームの監督をしていたので、小さい頃の父との思い出と言えば、やはり野球をやっていることしかない。
教え  —
父もプロの世界にいたので、学生時代は、「勝負の世界は甘いものではない」「全身全霊をかけて臨まないと結果が出る世界ではない」とよく言われていた。プロに入ってからは勝とうが負けようが何も言わず、一歩引いたところで見守っていてくれた気がする。今考えると僕自身を尊重し認めてくれていたのではと思う。
巡り合わせ  —
昨年は僕自身もカープで優勝したいという気持ちが強く、メジャーに対してはあまり興味がなかったが、父がここ何年か闘病生活を送っていたので、もし今も同じ状態だったら大リーグ移籍も迷ったと思う。今年はいろんなタイミングがメジャー入りに進んでいって、何か巡り合わせがあるのかなと不思議に思う。

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【FA宣言】

—  宣言
カープで11年目のシーズンだったが、結局Bクラスで終わった。やはり優勝したいという気持ちが強かったので、このまま野球人生が終わってしまうのかと考えると空しさが残った。カープで優勝するのがベストだが、野球選手として残された時間を考えると自分の中で急に焦りが出てきた。僕がプロの世界に入ってから、セリーグの内、広島以外の球団は全て優勝している。また、今エースと呼ばれているピッチャーも全員優勝の経験があり、自分が一度も経験していないことに葛藤があった。カープに残ってある程度の成績を残すことも考えたが、FA宣言に至る一番大きな理由は、もっと向上心を持って優勝争いをしてみたいという気持ちがすごく強くなったことだった。そう思い出したのは、漠然とだが、チームの戦力がどんどん落ちてきた交流戦当たりから。巨人や阪神など毎年補強を重ねているチームと差を埋めるには、何よりチームの結束力が必要だと思うが…。すごくいろんなことが見えてきた1年だったと思う。
—  評価
メジャーで1球も投げていないピッチャーに対して高く評価されることには、すごく戸惑いがあった。周囲からはずっと期待してもらっていたが、自分自身では毎年不安があったので、今年は特に評価され過ぎではないかという気持ちが強かった。
—  中でもシュートボールの評判が高いが
日本の野球とは違うので評価基準はよく分からないが、シュートは3年ほど前から投げ始めた。自分自身でもあの球があるから今があると言えるくらいのボールだし、このシュートがメジャーでどれだけ通用するかは楽しみでもある。
—  移籍
金額や契約年数で言えばもっと高い条件を出してくれたチームはあったが、肘の手術のこともあって身体への負担を考えるとロサンジェルスの温暖な気候が魅力的だった。また、日本人が多い地域なので、家族にとっても良い環境だと考えてドジャースに移籍することを決めた。まだあまり出歩く機会がないので街の様子はわからないが、ドジャースがロサンジェルスに移転して今年が50周年ということもあって、街を挙げて優勝を目指すという空気が伝わってきた。日本人ピッチャーである斉藤隆投手が在籍しているのも心強い。12月16日に現地で入団会見を行ったが、演出がアメリカらしく、メディアの数も多くてオーナーもすごく歓迎してくれたのが印象的だった。

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【ドジャース黒田】

2008年始動  —
2008年がスタートしたが、日本での自主トレを終えた後、1月下旬に渡米しロサンジェルスでトレーニング後、2月中旬からいよいよフロリダ州ベロビーチで行われるキャンプに参加する。今年は大きなチャレンジの年なので、気持ちも新たに引き締めている。
メッセージ  —
11年間カープで勝ちたいという思いを強く持ってずっとがんばってきたので、チームから離れるという実感がまだあまりないが、自分で選んだ道で悔いのないようにやりたいし、チームにも精一杯がんばってほしい。ファンの皆さんに対しては本当に今までたくさん応援してきてもらったし、ドジャースに決まってからもたくさんのメッセージをもらって本当に感謝している。メジャーに行っても日本で見守ってくれている人の存在を忘れずにがんばりたいと思う。

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