黒田博樹 公式ホームページ『kuro18』

道

06年のFA騒動・メジャー移籍等でカープファンのみならず多くの野球ファンを魅了 した一人の野球選手、黒田博樹。

球界に多くいるスター選手のように学生時代から華々しい道を歩んできた訳ではなかったが、野球に対する真摯なまでの姿勢と、ひたむきな向上心、そしてある時は反骨精神を持ちながらあきらめずに続けることで“球界を代表する投手”と言われるようにまでに成長した。

このコーナーでは、彼がこれまで歩んできた野球人生を彼自身の言葉で語って貰った。

【つまづき】2004年

—  焦り
<2004年、開幕戦で中日と対戦して5点差リードを逆転される>その年は夏場にアテネの本戦があり、頭の中でシーズンに集中してからオリンピックへという気持ちがあったが、それまでに何とか結果を残さないといけないという焦りがあってメンタル面の調整がうまく出来ていなかったように、今振り返ると感じる。
—  危機感
開幕戦で5点差をひっくり返された翌々日に、自らインターネットで調べて上達屋の手塚さん(パフォーマンス・コーディネーター)に電話をかけ、フォーム改造を依頼した。手塚さんの事は本で読んでいたので多少なりとも知識はあったが、5点差を逆転された時に今年はこれではダメだと思ったので、何かにすがりたいという気持ちで電話をした。
シーズン中はガラッと変えることはできなかったが、シーズンが終わってから本格的に取り組んだ。ピッチングフォームを解析してもらい、フォームを改造してから結果もついてきているし、これが大きなきっかけとなったと思う。
その時は、何かを変えないと、もうこの世界ではやっていけないという危機感を感じていたので、少しでもプラスになるものなら何でも取り入れたいと思っていた。それまではずっと夏場に弱いと言われていたので、着用するウエアーを緒方さんから紹介頂いて、スキー、アウトドアのメーカーだったオンヨネのアンダーシャツを着用したのも一つの対策だった。
—  マウンドの魂
<この6月末に右肩関節の違和感でチームを離脱、8月に復帰。「エースは完投」という当時の山本監督のこだわりに疑問の声もあった>僕自身は監督に投げろといわれればどこまでも行きたいし、どちらかと言うとそれを粋に感じて投げたいタイプ。精神的には1試合で肩が壊れてもいいというぐらいの気持ちでマウンドに立ち続けたいと思っている。
小さい頃、大阪球場などに野球を見に行った時に、ホームランが出たりしたら、まるで自分のために打ってくれたような気になった。ファンの気持ちとはそういうもの。僕も今は逆の立場として、その日しか球場に来られないファンもいるし、ずっと応援してくれているファンに喜んでもらうためにも、常に1試合1試合を大切に目一杯投げたいと思っている。

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【アテネオリンピック】2004年8月

メンバー  —
<ピッチャーとしては、ほかに上原(巨人)、松坂(当時西武)、岩隈(当時近鉄)、和田(当時ダイエー)、清水(ロッテ)などが選ばれる>あれだけのメンバーが集まって戦うことは刺激もあったし貴重な経験となった。同じブルペンで投げたり、キャッチボールをしたりするだけでもシーズン中に対戦するのとは全然違って、やっぱりすごいと感じた。また、先発をさせてもらえなかったというのも自分にとっては凄く大きな事で、これぐらいのレベルの選手が集まった中でも先発を任せてもらえる、エースと呼ばれるピッチャーになりたいという気持ちを強く持った。ほかのピッチャーから比べたら自分の力はまだまだだと感じたことが、その後に大きく変化したひとつの要因だと思う。
プレッシャー  —
オリンピックを楽しむというより、やはり日の丸の重さを感じていたので、プレッシャーは凄くあった。自分の活躍よりもやはり金メダルを取りたかったし、あそこまで行ったら一人ひとりの活躍ではなくてチームとしての力が大切だと思った。そういう気持ちにさせてもらったのも一流の選手が集まった中での戦いだったからだと思う。ただシーズン中は対戦相手となっているバッターが背後で守ってくれているというのは不思議な気持ちだった。
ハングリー精神  —
中央の球団のピッチャーはメディアの扱い方も違うことに衝撃を感じたし、そういう意味では逆にハングリー精神が目覚めた。
次のオリンピックについては、まだ何も考えていないが、とにかくシーズンを集中して戦ってから考えたいと思う。

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【完全復活】2005年

—  メンタリティ
精神的にはアテネの成績に対する悔しさもあったし、今まではチーム内だけで争っていた部分があったが、オリンピックに出たことで他球団のエースをライバル視しながらできたというのは自分を一回り大きくさせたんじゃないかと思う。そういったことがタイトルに結びついた要因だったと思う。それまでは上原や松坂をただ凄いなと思うだけで終わっていたが、間近で見てさらにその凄さも感じたし、近づきたい、負けたくないという気持ちにもなった。それが何か大きく作用したのではないかと思う。粘り強く投げることもできたし、ピッチングスタイルも凄く変わったと思う。
—  フォーム改造
今までやってきたピッチングスタイルを変えることは大変だったけれど、7勝で終わった前シーズンの屈辱を思うと、変える事の怖さより変えない事の怖さのほうが強かった。そういう部分では違和感なくすんなり受け入れられたと思う。 ただ、これでいけると満足することは絶対になく、常に自分にとってプラスになることが何かあればと思っている。手応えというのは野球人生が終わってからでないと感じないと思う。
—  最多勝を争う終盤の中継ぎでの勝ち星
僕も迷った部分はあったが、山本監督が「とりあえず行ってみろ」ということだった。たまたま打線がよくて勝ち星がつき、勝てたことは嬉しかったが、タイトルを取った後でその重さを痛感した。中継ぎでの勝ち星に関しては、僕自身は特別な思いはなかったが、山本監督もタイトルを取った人だったので、僕にも取らせてあげたいという気持ちがあったんだと思う。そういう意味では監督には感謝しているし、それで周囲に何を言われようと僕自身は何とも思わない。

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